『黒い蝶』はどこまで書かれたか?


俺の野望はね、ここを世界の「『白と黒』研究」の中心にすることなんだ……。

最終更新2013/04/11

 この記事は研究が進み次第、何かの発見・考察ができ次第随時更新していきます。  上の記事ほど真面目です。下の方に行くと、推測・推理が混ざってきます。

『黒い蝶』とは何か?(2013/04/11更新)

 これから先、このサイトでも頻繁に取り扱うであろう、この『黒い蝶』という作品について、一通りこのページで解説をしておく。  『黒い蝶』は、1959年6月21日創刊の「サンデー小説」という雑誌に掲載されていた作品である。  まずはそのあらすじをここに記そうと思う。     昭和三十]年、金田一耕助は緑ヶ丘荘で児玉悦子という女性と面会をしていた。    その用件は、彼女の住む富士見団地に横行する他人を誹謗中傷する怪文書についてであった。    金田一耕助がその怪文書に記されていたのは、彼女とその夫、そして昔のパトロンとの関係であった。    金田一耕助がそれを見て、児玉悦子からその事について聴き取りをしているところ、電話が鳴り響いた。    その電話の主は金田一耕助のよき理解者、等々力警部であったのだ。  以上がこの『黒い蝶』のあらすじである。  そう、これしかないのだ。というのもこの『黒い蝶』、第一回の掲載以外未だ発見されておらず、  実際何回まで連載されたかも判明していないのだ。

『黒い蝶』と『白と黒』の類似性(2013/04/11更新)

 この横溝正史『黒い蝶』について書かれているサイトは、  そのどれもが『白と黒』との類似性を指摘している。  実際、上のあらすじはシチュエーションこそ違えど『白と黒』に非常に近いものになっている。  このあたりのことについては「『白と黒』と『渦の中の女』、『黒い蝶』比較」に於いて後日述べようと思う。  しかし、それと同時に相違点も多い。例えば上のあらすじには書けなかったが、冒頭は怪文書の作成から始まっている。  その描写は『魔女の暦』(1956小説倶楽部5⇒1958東京文芸社[改稿])に通じるものがある。  ところでこの時期、横溝正史は怪文書を発端とする事件をいくつか執筆している。  すなわち『毒の矢』『黒い翼』そして『渦の中の女』である。  以上ここまで名前の出てきた作品を年代順に並べてみよう。()数字は金田一モノの改稿、執筆数を表示している。  1956年(12)  『毒の矢』(オール読物)  『黒い翼』(小説春秋)  『毒の矢(改稿)』(東京文芸社)  『魔女の暦』(小説倶楽部5)  1957年(15)  『渦の中の女』(週間東京)⇒のちの『白と黒』  1958年(15)  『魔女の暦(改稿)』(東京文芸社)  1959年(3)  『黒い蝶』(サンデー小説)⇒のちの『白と黒』  1960年(6)  『白と黒』(共同通信)    このように横溝正史は毎年怪文書モノを執筆していることになる。  事実『白と黒(東都書房版)』のあとがきにはこうある。   ――わたしはまえに中篇物で、怪文書から端を発する殺人事件を書いてみたことがある。     この怪文書を団地へもってきたらどうかというのが、この「白と黒」の第二の発想である。     団地に他人を誹謗し、中傷する怪文書が横行しているというのはどうであろうかというのである。     この着想が私の創作意欲を決定的なものにした。     よし、相当徹底的に団地に怪文書をバラ撒くことにしてみよう。――  この決意がどの時点でのものなのかは定かではないが、  『白と黒』へとつながる流れをしっかりと汲み取るのであれば1957年、『渦の中の女』の執筆に際してだろう。  『渦の中の女』は怪文書作品が執筆された1956年の翌年、1957年に週間東京で連載された作品である。  この作品と『白と黒』の相違についてはも「『白と黒』と『渦の中の女』、『黒い蝶』比較」に於いて後日述べようと思う。

サンデー小説を徹底解剖する(2013/04/11更新)

 ではこの初回のみの『黒い蝶』をどのように研究していくか、次の問題はそれである。  まず第一に、ファンとしては「何回まで連載されたのか」が気になる所なのだ。  それを解決する最良の手段は「サンデー小説」が発見されることだ。  しかしこれがなかなか難しい。現在発見されているのは私の知る限り創刊号と第五号である。  第五号の発行は8月16日である。あれ? 毎日曜日発行じゃないのか……?  この疑問には第五号の編集後記が答えてくれる。それによると、発行が遅れたらしい。  また、発行元である文京社の住所が第一号と第五号で異なっている。  そこで推理されるのが「実は販売がけっこう苦戦していたのではないか」だ。  もう少し詳しく見ていこう。 【第一号】  表紙 6月21日創刊号 懸賞付き小説募集 40円  発行元 文京社 中央区日本橋小伝馬町(番地は略)  印刷所 不明(記載なし)  懸賞小説 当選作 一篇 五万円       佳 作 一篇 二万円       締 切 六月三十日       発 表 本誌七月十二日号      選考委員 海音寺潮五郎先生、木村荘十先生、横溝正史先生  黒い蝶 連載一回目 【第五号】  表紙 8月16日号 新人小説特集号 40円  発行元 大田区女塚(番地は略)  印刷所 あきば印刷株式会社  懸賞小説 当選作 一篇 五万円       佳 作 一篇 二万円       締 切 (記録忘れ)       発 表 本誌九月十三日号      選考委員 (記録忘れ)、横溝正史先生  黒い蝶 連載なし  IBM 0863  次回予告 怪談特集号  とりあえず言えることとして、サンデー小説は五号まで出ている。  しかし五号には『黒い蝶』の連載は無い。  これが単なる休載なのか、それともすでに完結したのかは分からない。  ただ、第五号の懸賞小説選考委員の欄に横溝正史の名があるのだから、  一回で連載を中止したとは考えにくいのではないか。  いずれにせよサンデー小説の他の号が発見されることを願うばかりである。

別のアプローチでサンデー小説を調べられないか?(2013/04/11更新)

 この探すのが難しい「サンデー小説」であるが、古本屋を探す以外の調査はできないだろうか? ・案その一!  当時購入して、いまもまだ保管している人がいないか全国的に訊いてみる。   確かにそれが一番の方法かもしれない。   今はネットが普及しているから、昔以上に拡散も可能である。   ただ気の遠くなるような作業かもしれないなぁ……。 ・案その二  他にサンデー小説に連載をした作家の研究者がタッグを組んで探す。   これはなんか夢のある話だけど、実現性はどうだろうか……。   そもそもどうすれば発見できるか、の明確な答えにはなってない。   だがしかし、横溝先生のお宅から大量の原稿用紙や雑誌が発見されたの同様、   他の先生でもそのように保存していらっしゃる可能性は十分にないだろうか? ・案その三  発行社、それに携わった人、印刷会社に当たってみる。   これは奥の手的な発想かもしれない。   実際当時編集に携わっていた人とコンタクトが取れるだろうか……?   しかし   しかしです、実は印刷会社の方は同名の印刷会社が存在しているのです。   これが当時「サンデー小説」五号の印刷をした会社と同一であるかは不明ですが、   もしもこれが同一の会社ならば、ここから何かつかめるのではないかと思ってます。   ちなみに現在ある、あきば印刷株式会社は文京区小石川にあります。

『黒い蝶』の内容を予想する

 【以下執筆中】


本文引用 横溝正史『黒い蝶(サンデー小説)』 参考資料 「金田一耕助の新冒険(光文社文庫)」      「金田一耕助の帰還(光文社文庫)」      横溝正史『白と黒(東都書房版)』 考察部分 裃白沙 考察執筆 2013